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『風立ちぬ』って「ゼロ戦を作る話」と「菜穂子との恋愛の話」の二重構造だと思っていたんですが、そうではなく、一本の話にまとまっている気がしてました。つまり「菜穂子=ゼロ戦」みたいな話になっているということです。その点をメモしておきます。
二郎のやっていることはただひとつ
最初観た時は、二郎は飛行機を作りながら恋愛もして、なんか飛行機一本に生きた男じゃないな…と思っていたんですが、この映画はそういうことじゃないですね。
二郎のしていることはただ一つです。すなわち「美しいものを追求すること」ですよね。
美しいものとは「美しい飛行機:ゼロ戦」なんですが、その話を別の角度から盛り上げるために、「美しい女性:菜穂子」を求める話がくっついているわけです。
菜穂子のことを「好きだよ」と言わず、ただ「きれいだよ」しか言わないというのも、こういう理由からですね。
カプローニとカストルプがダブる
「美しい飛行機への夢」の仲介者となっている存在が「カプローニさん」ですね。
同じように、「美しい女性への夢」の仲介者となる人物も、なんとなくビジュアルが似ている「カストルプ氏」です。
つまり、以下のような構造です
- 二郎――仲介者:カプローニ――ゼロ戦
- 二郎――仲介者:カストルプ――菜穂子
ゼロ戦=菜穂子を匂わせますよね。イコールと言っても「ある意味」ですけどね。
「生きて」と言っているのは、ゼロ戦たちでもある
ラストで、ゼロ戦について「一機も戻ってこなかった」というシーンがあります。
このシーンの直後に、死んだ菜穂子が「生きて」と言いながら消えていくシーンがあります。
もちろん菜穂子が言っているんですけども、この流れだと、一機も戻ってこなかったゼロ戦たちにも、「生きて」と言われている気がします。
青い空に消えていく真っ白なゼロ戦たちと、消えていく真っ白な傘も、何かリンクしている感じがする…。
そうやって観ると、結構感動が深まるのは私だけでしょうか…。
この映画は深すぎるので、今回気づいたのは表面的構造
とにかく宮崎駿は頭が良すぎるので、「ゼロ戦と菜穂子がリンクしている」なんて、彼からしたら「誰でもわかるでしょ?」みたいなレベルだと思います。いわば映画の外見レベル。
外見を踏まえた上で、さらに深いストーリー構造を作り込んできていると思うので、この映画、まだまだちゃんと理解できていない気がします。
宮崎駿が大人向け映画を作ると、どえらいものが出来てくるんですねー…