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マンガ・イラストが上手くなりたければデッサンをやれ!と時々いわれます。デッサンが役立つことは確かですが、「絶対に必須」なのでしょうか?この記事では、マンガ・イラストのいわゆる「画力」を上げるにはどんなスキルが必要なのか?東村アキコ作「かくかくしかじか」をきっかけに考えたいと思います。
「デッサンのうまさ」と「マンガのうまさ」は違う
「かくかくしかじか」は作者の東村アキコの実体験にもとづく作品ですね。
主人公(作者本人)が「先生」のもとでデッサンをしまくって、美大に行って、やがて漫画家デビューするわけです。デッサンが上手いのだから、マンガの絵もそうとう上手いはずだと思いきや、以下のようなシーンがあります。
かくかくしかじか 3 (マーガレットコミックスDIGITAL)
編集者から「デッサンがダメ」と言われちゃったわけです。
これは…ちょっと的外れなアドバイスをしちゃった編集者も恥ずかしいわけですが、それは置いといて…このすぐ後のコマで、面白いセリフがあります。
つまり、デッサンのうまさとマンガの絵のうまさは、ちょっと別のものであるということですね。全然別ではないですが、ちょっと違う。
どう違うのか?という話の前に、デッサンとマンガの絵の上手さの関係についての一般論をおさえておきましょう。
デッサンはマンガの絵の基本?
「デッサンが基本」とされている
一般的に、デッサンはマンガの絵の基本とされています。
人間などを写実的に、リアルに描く技術を身につけて、そのリアルな絵を「デフォルメ(変形)」することでマンガの絵になるといわれています。その点は、石ノ森章太郎先生の解説によると、以下のとおりです。
デッサンがしっかりしていなければ、理論的に順序よく変形ができない、ということになります。
(中略)
マンガの場合の変形とは、デフォルメ(誇張)であって、その結果完成されたスタイルが画風と呼ばれます。
後の部分で詳しく説明しますが、この理論には反論が多くて、今では一般的ではありません。でも、「かくかくしかじか」のセリフからすると、マンガ家や編集部などの現場では、未だに使われている理論だと思います。
「デッサンが基本」への反論
「デッサンがマンガの基本だ」という理論には、多くの反論がなされています。以下はその一例です。
手塚以降のマンガ家で、正式な絵画の訓練を受けた者がはたして何人いるというのか。それでも彼らがマンガを描くうえでは何の不都合もなかったし、表現としても立派に成り立ってきたのだ。ということは、こと戦後マンガに関する限り、マンガの絵とファイン・アート的なデッサン力の有無とはほとんど関係がないということになるのではないだろうか。
―別冊宝島EX「マンガの読み方」P64―竹熊健太郎『マンガに「デッサン」は必要か?』より
いずれにしても「デッサン力」だけでは、マンガを上手くかけないことは「かくかくしかじか」にも描かれているとおりです。
では、どんな能力があれば、マンガが上手く描けるのか?2つの能力をとりあげてみたいと思います
記号化する能力
手塚治虫は「記号化」が上手かった
手塚治虫の絵について、西上ハルオ著「『新宝島』研究」という本に、面白い一節があります。
この本は入手できなかったんですが、大塚英志著「アトムの命題―手塚治虫と戦後まんがの主題」という本に引用されていたので知りました。つまり引用の引用です。
こどものかいた絵は、うまいとはいえないが、実によく印象をつかんでいることがある。それらは、デフォルメした絵でもなく、単純化した絵でもない。印象に忠実なだけの話である。
しかも、それらは、マンガに似ている。いや、それがマンガなのかもしれない。
手塚治虫の場合、海賊は海賊らしくまとめられている。ジャングルはジャングルらしいし、汽船は汽船らしい。
もちろん事実は調べただろうが、ほとんどこのらしさが基準になって、できあがっている点がおもしろい。
―西上ハルオ「『新宝島』研究」より
つまり、手塚治虫は、いかに「それらしい絵」を描くかということに優れていたわけです。つまり、いわゆる「マンガ記号論」としてのマンガが上手かったというわけですね。
つまり記号的に「それらしく」描く能力に優れていれば、マンガの絵を上手く描けるわけです。記号論について詳しくは以下の記事を参照してください。
マンガの描き方|「マンガ記号論」って何なの?描くときにどう意識したらいいの?
記号化する能力を高めるには
記号化して描く能力といっても、記号を一から創作しなくても大丈夫です。記号を考える作業は、手塚治虫や、その後の多くのマンガ家たちが既にやってくれました。
現代の私たちは、そういう先人たちのマンガの描き方をどんどん引用しちゃえばいいわけです。そのためには、色々な作品を読みまくることですね。
「HUNTER×HUNTER」の冨樫義博先生も、表情の描き方について、似たようなことをおっしゃっている様です。村田雄介版「ヘタッピマンガ研究所R」からの引用です。
ヘタッピマンガ研究所R (ジャンプコミックスDIGITAL)
今まで読んできたマンガの「脳内ストック」から持ってくるというのが、まさしく「すでにある記号を持ってくる」ということですね。
たくさんマンガを読み、マンガ的な記号を「ストック」し、いかに使うか!これにつきると思います。このような能力を「記号化する能力」といってみました。
造形する能力
「見ないで描く」能力
「かくかくしかじか」にもどりますが、前述のシーンのすぐ後に、こんなセリフがあります。
デッサンをしまくれば「ただ『見て』描く」能力は身につきますが、「自分のなかで形を構築する絵」が描けるようにはならないようですね。
ここからわかるのは、マンガに必要なのは、「自分の中で形を構築して」描く…つまり「見なくても描ける能力」だということですね。そういう能力を「造形する能力」といってみました。
たとえば空想のメカとか生き物などをスラスラと上手く描く能力のことです。キャラのポーズとか、服のしわとかを、資料を見ないで描く時にも必要な能力ですね。
「造形する能力」を身につけるには
ではどうやって「造形する能力」を身に着ければいいのでしょうか?
まず少なくとも「実在するもの」を見ないで描くことなら、訓練でなんとかなりますね。たとえば、人間の体を見ないで描くためには、骨格とか、筋肉とか、各パーツの大きさの比率などを勉強すればいいわけです。
描くものの構造をよく理解し「形を覚える」ことで、何も見ないで描けるようになるということですね。
「実在しないもの」の造形も、その延長線上です。空想の生物やメカなども、結局のところ「実在するもの」の組み合わせである場合がほとんどですから、色々なものの「形を覚える」ことが上達に役立つはずです。
詳しくは以下の記事にまとめています。
まとめ
「マンガにデッサンは必要ない!」というと拒否反応を示す人もいるようですが、それは「必要ない」の意味を勘違いしていせいかもしれません。「必要ない」という言葉の意味は「必須ではない」ということです。
デッサンは、いうまでもなく画力向上に役立ちますが、役立つスキルの一つにすぎないということですね。役立つとはいえ「マンガの基本だ」とまで言ってしまうのは、違う可能性が高いということです。
マンガの世界で「画力を上げる」ために必要な能力として、今回取り上げた次の2つの能力も、かなり重要だといえます。
- 記号化する能力:マンガ的な記号表現を引用してくる能力
- 造形する能力:何も見ないで描く能力
今回の参考文献一覧
かくかくしかじか 3 (マーガレットコミックスDIGITAL)